マジぽんのブログ

Webライターの練習を兼ねて、日々思うことや、伝えたいと思っている事をつづります。

登山と意識と感情と集中

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今回は京都の山に登った。

 

単に登るだけでは勿体無いので、今回は登山の中で生じた感情や意識に着目した。

 

 

登山スタート


登り始めは特にワクワク感や不安などの感情は無く、フラットな状態だった。


最初は道路の道が続き、「思っていた登山と違うなぁ…」と感じていた。

 

途中、細い道に分かれる分岐路を見つけ、「自分のイメージしていた登山はこんな道だ…!」と探し物を見つけた様な感覚を味わいつつ、細い道を登って行った。


あまり人の手が入っていこの道は、普段都会に暮らす日常では味わえない、感覚を得られる。


もう何年か山に登るという事を行っていなかった自分は、登っていく中で、久しぶりに懐かしい感覚に出会った様な気持ちになった。

 

 

不安と集中


また、細い道を登り始めてからか、「何か」に対する不安が生じた。


その不安が何なのか、思いを巡らせてみた。

 

 

計画を立てずに来て大丈夫だったか

後ろから変な人がきたらどうしよう

 


どれもしっくり来ない。

その正体は分からない。


もう少し登っていくと、自分の意識が「恐怖・不安」から「登る」事に向いていることに気付いた。


この意識状態は、山登りを行う時になるもの。

「そうそう、こんな状態だったな」と過去に経験した意識状態とリンクした。

 


それから坦々と上に上に、直感的に分岐路を選択して進んでいくと金属でできた扉を見つけた。


扉が視界に入った瞬間、「ここまで来て行き止まり!?」という驚きと少し残念な気持ちが生じたが、よく扉を見てみると、文章が書かれたパネルが貼ってあった。

 


「鹿や猪の侵入を防ぐ為、入る方は扉を締めて下さい」そんな旨が書かれたものだった。

 


ここでまた、心境に変化が生じた。

 


「進んで大丈夫なんだろうか」

「誰かが来て、何やってるんだ!とか怒られたらどうしよう」

「変な人が後ろから追って来たらどうしよう」

「ここで帰る訳にもいかないし、扉も開かない」

 


ここで生じた感情は、ここに来るまでに感じていた「恐怖」だった。生じたというよりも、生じていた感情が増幅した、といったほうが近い。

 


結局この扉は乗り越えることにした。

 


ここからまた、恐怖の感情が襲ってくる。

 


「遭難したらどうしよう」

「帰り同じ道通れるかな」

「誰かが隣にいれば安心するのに」

「入口に置いて来たロードバイク無くなっていたらどうしよう」

 


この感情も登るにつれ、若干ではあるが薄れて行った。

 

 

期待感


太陽の光が差し込むと「もう山頂はすぐそこ」という感覚が生じる。


だが、この感覚と物理的な距離には結構な差がある事が多い。

 


この時点での心に生じた思考や感情、意識というのは、

「恐怖」「不安」「不安に打ち勝ちたい意思」「恐怖を振り払おうとする意思」「純粋に登ることに対して楽しもうという思考の巡り」

主にこんなところだった。

 


これらの感情にさいなまれつつ、「登る」ことに対して意識が向き、登っていくと「ガサガサ」という音がした。

音をしっかり認識する為に、足を止め、音を聞く事に意識を集中させた。

 


ハッキリと落ち葉を踏む枯れた音が認識出来た。

 


「誰か人がいるんだな」そう思ったのだが、それは思い違いだった。

 


自分の目は茶色い毛の、足が4本ある、直径70〜80cmほどの物体を捉えた。

 


イノシシだった。

 


自分の脳内に蓄積された「猪」と目の前の生物が結び付いた時、また心境に変化が起きた。

 


この時は「不安」「期待感」が生じていて、不安よりも期待感(ワクワク感)が勝っていた。

 


「動画で撮ったら面白いかも…!」

 


そう思えるほどに、不安の割合は少なかった。

 

 

「集中」という意識状態


そこからまた、もう少し進んでいくと「登山」の意識に入って行く。

 


この時の時間の経過というのは、本当に早い、これがいわゆる「集中」というものなのだろう。

 


この集中は、自分のポテンシャルだと思われる。

 


どこか少し意識の向け方を変えるだけで、十分な力を発揮できるのではないだろうか。

 


「集中」というのは、目の前の一瞬一瞬に意識を向け続ける事ではないだろうか。

 


後の事でも、先の事でもなく、この目の前の一瞬。

 


ここに意識を置き続けることができれば、「集中」した意識状態に入ることが出来るのではないだろうか。

 


こんな事を考えていた。

 

 

イメージと一致しない山頂


そして、迎える山頂。

 


イメージしていた山頂と全く違う。

 


辺りは木、木、木、木と木から差し込む日差し。

 


これだけである。

 

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この時に生じた感情は

「綺麗な景色が見れなくて残念…」

これ以上に当てはまる言葉はそう無いというほど、感じた事を文字にできていると思う。

 

 

不安要素の認識


ここからは下山。

 


あっという間に登り終えた名前も分からない山を降りる。

 


未だに、何かに対する「恐怖」「不安」が生じている。

 


それも、鉄製の扉の所を過ぎた所でドッと落ちた。

 


自分の感じていた不安というものは、何かしらの意味があって区切られていた領域に立ち入る事だったのかもしれない。

 


そこからは何かから解放された様な気分で、リラックスして足を進めることができた。

 

登山は普段の意識散漫な状態から解き放たれ、自分の心に集中できる、貴重な機会を得ることが出来る。

 

あくまでも登山というのは自分の心に集中する方法であって、目的にしている訳ではない。

 

しかし、登山はいいものである。